淀みに浮かぶ泡沫は

大学院生の日常

日記

ここ数日,辞書とか定義といった言葉をよく目にします.調べてみるとある人物が揚げ足取りの材料に使ったとか使ってないとかで,ああまたかとため息が漏れます.僕個人は彼を好ましく思っていなくて,正直話題にするのも愉快ではありませんので,ここではこの一件そのものには触れないでおこうと思います.

人が他者と接したとき,その他者の何をしればその他者のことが少しわかったという気分になれるか.これは人によってさまざまだろうと思います.僕の場合はその人の使う言葉の語感(ニュアンス)というのが真っ先にあがってくる回答になります.

昔親しくしていたある人は,「幸せ」という言葉はあまり使いたくないと言っていました.なぜかと尋ねると「声に出した途端に消えてしまいそうだから」とのことでした.この感じ方を僕は気に入って,僕は「幸せ」を使うのに以前より慎重になりました.それまでは「幸せ/幸福」はほとんど同義として使っていたと思います*1

サークルのある先輩は,僕のある行為を指して「意味がない」と評しました.これについては以前に書いた気がします.この先輩はこの言葉を,なんとなくネガティブななもの,といった程度の意味で使ったようで,おそらく一般にいう「面倒くさい」あたりの方が適当な様子でした.僕はこれを字面通りに受け取って盛大に怒り散らし,明確に和解することなくその先輩とは距離を置き続け,そのまま疎遠となってしまいました.その一件の直後が,僕がその先輩にある意味で最接近したタイミングだったのだろうと今でも思います.

人によって言葉に込める意味は微妙に(ときには大きく)異なっていて,その最大公約数というか共通部分というか,そういう無難な部分を切り取ったものが辞書的な意味なんだろうと考えています.だから,辞書の定義が先にあって,それに基づいて言葉が運用されているわけではないという気がします.しかし一方で,個々人があまりに大胆な言葉遣いをすると,先ほど出てきた先輩のように伝えたいことが伝わらないこともあり得ます.その意味ではある程度”標準的な”意味に寄せる必要があるという点で,用例が辞書の定義に縛られることもあるでしょう.

学部時代の同期がよく「伝わればなんでもいい」と言っていました.究極的には伝わればそれでいいわけですけど,この人は伝えるという行為がどれほど難しいかしらないのだろうか*2と不思議に思った記憶があります.今にして思えば,僕と彼とでは「伝える」という言葉を違うふうに使っていたのかもしれません.やはり伝えるのは難しいな,と改めて思うわけです.

 

さて,今日は午前中に野暮用があって,それ済ませてから大学へ.本当は家で作業するなり休むなりしたかったのですが,昨日買って余していたパンを大学に忘れてきてしまったので仕方なく登校しました.パン屋のパンだったので早く食べたほうがいいと思った次第です.これが企業が製造してきっちり包装されたパンなら,また判断は変わったことでしょう.

そうそう,大学へ行く前に本屋へ寄りました.朝の用事があまり愉快なものではなかったこともあって,その気晴らしを兼ねています.書い忘れていたコミックスの新刊と.あとは小説や新書を数冊購入しました.ツイッターなどで仕入れたおすすめの本は単行本が多くてなかなか手が出ません.売り場を歩いていて目についたのをカゴに放り込みました.

大学では勉強会の発表準備を少し.テキストの自分の中での整理が甘かった箇所があり,まだまとめきれていません.

夕方に餃子の王将で知人らと食事をしてから帰宅.発表準備をする気にもなれずぼーっとしているとすぐに時間が過ぎていきます.

学祭で所属サークルが会誌を発行することになり,僕がそこに寄稿することになりました*3.そんなわけで締切も増えてしまったので,一つずつ確実にタスクを片付けていきたいです.

それではまた.

 

2022/10/08

 

*1:ちなみに辞書をみると「幸せ」と「幸福」は少し意味が違っているようです.

*2:壊れるほど愛しても三分の一も伝わらないと言いますし.

*3:希望したからなんですけど.