淀みに浮かぶ泡沫は

大学院生の日常

日記/アホとバカの話

今日は午前中買い物をして大学へ行き,少し作業をしてから職域接種を受けてきました.

 

昨日駅前の本屋で買い忘れていたマンガを買おうとしたのですが,置いていないシリーズがあったので今日もう少し大きい本屋へ買いに行きました.やはりたくさん本が並んでいると,眺めているうちに何冊か手に取ってしまいますね.また積読が増えました.

ついでにCDも買いに行ったのですが,そちらはお目当てのものがなく何も買いませんでした.まあこないだの旅行といい最近はお金を使いすぎている感じがあるのでちょうどよかったかも.

 

ワクチンは夕方ごろに打ちましたが,腕に痛みが出てきました.一定の角度まで腕を上げると筋肉痛に近い痛みを感じます.熱は出ていませんが,なんとなく全身に気怠さもあるので早めに休もうと思います.

 

それで,今日買い物に行ったときに救急車を見かけました.結構大きい通りの赤信号へ差し掛かるところで,横断している歩行者に対して「道をあけてください」と呼びかけているところでした.驚いたのは,救急車がギリギリ接近してもなお横断をやめない歩行者がいたことです.

実はこの光景自体は,例えば大学近くの道路でもたまに見かけるのですが,僕はその度に「バカばっかりやなあ」と半分呆れながら憤ったりするのです.

 

別に言葉にしたわけではないのですが,こういうときには僕は思考の中では必ず「アホ」ではなく「バカ」を使っているようです.全国的にはどうかわからないのですが,関西圏では「アホ」よりも「バカ」の方が言われると嫌な言葉なようです.僕もこの感覚に近くて,「アホ」は自分に対しても相手に対しても比較的気軽に使うのですが,「バカ」は自分の愚かな行為に対してか,よほど侮蔑の意を表したい相手にしか使いません.

そして救急車の進行を妨げる歩行者というのは,僕の中では相当な侮蔑の対象というわけです.

 

言葉に対するニュアンスというか,言葉に込める意味というのは,こんなふうに一人ひとりきっと違っているのでしょう.ある人は「バカ」よりも「アホ」と言われた方が嫌で,別の人は「アホ」も「バカ」も同義なものとして使っているかもしれません,各人の抱くニュアンスが少々違っても,みないわゆる「辞書的な意味」から大きく外れない範囲で言葉を運用する限りにおいては,些細な衝突はあれど大きな齟齬は生まないのでしょう.あるいは,そういった各人が定義している意味を平均化したものが言葉の辞書的な意味だと言えるのかもしれません.

 

ところが世の中には稀に,完全に自分独自の辞書に従って言葉を運用している人間がいます.僕のサークルの先輩がそうでした.

彼は僕の1学年上の先輩で,同じ学部だったということもあり最初のうちは親しくしていたと思います.ですがそのうち,言葉遣いや考え方など,細かい部分でイライラすることが増えてそのうち交流は途絶えました.この春大学院を卒業されたはずですが,結局最後にしゃべったのは2年以上前だった気がします.その断絶を引き起こした決定的なエピソードが,次になります.

 

当時僕は3回生でした.時期はちょうど今頃です.その日先輩は大学近くの飲食店でお昼を食べたらしいのですが,路上に停めておいた自転車が撤去されたというのです.

 

市の条例で放置自転車は撤去することになっていて,大学近くには割と頻繁に撤去のための業者がやってきます.この業者を「自転車窃盗団」などど呼ぶ学生もいますが,「放置するな言われている区域に停めておいて盗人呼ばわりかよ」というのが僕の立場です.

もちろん市がもっと駐輪場を整備すれば放置しなくて済むんだという主張自体はわからないではないのですが,それとこれは話が違うだろと思うわけです.悪法だって法であって,その悪法に従っている市民もいる中で,駐車禁止区域に停めていた自転車を撤去されて怒り,さらには「窃盗団」呼ばわりするのは正直どうかと思います.

 

で,この先輩も「窃盗団」という言葉こそ使わないものの,駐車禁止区域に停めていた自転車を撤去されたことに憤っていました.僕自身の立場は上で述べた通りですので,そのときも同じ旨を伝えたと思います.

そしてその先輩は「じゃあ君やったらどうするの?」と尋ねました.僕はそれまでしていたように「大学に停めて店まで歩きます」と答えました.それに対して「そんなん意味ないやん」という先輩の発言に対して,当時の僕は胸ぐらを掴みそうな勢いでブチギレました.多分大学以降ではもっとも激しい怒りのぶつけ方で,人生を振り返っても上位に食い込むほどでした.理由は単純で,自分が正しいと思ってとっていた行動をたった一言「意味がない」で切り捨てられたからでしょう(それまでのやり取りで積み重なっていたものの影響もあったとは思います).

 

もちろん手を出したわけではなく,地団駄を踏むようにして体全体で怒りを表していたのをよく覚えています.そのうち落ち着いてきて,最後はどうやって会話を終えたのか忘れましたが,そこで話をするうちにわかったことがありました.それは先輩にとって「意味がない」というのは good/bad の bad を表す程度の意味しかもたないということでした.この場面に限らず,良くないことに対して先輩は割とこの「意味がない」を使うようでした.

 

はじめの方で言葉の使い方には個人によりブレというかばらつきがあるという話をしましたが,さすがにこんなのは想像できないよなと思ったのを覚えています.ですが先輩との過去の会話で円滑に進まなかったものたちが思い出されて,あれはそういうことだったのかと変に納得していました.そうすると怒りはもはや呆れへと変わりバカらしくなったんだと思います.

 

この事件以降この先輩とはほとんど関わることはなかったですが,周囲からは割と人気な人であり続けたように思います.言葉の使い方が人と違うというのは,良くいえば独特な感性を持ちそれに従って言葉を操っているとも言えるわけで,それはある場面ではとてもポジティブに働くものなのでしょう.なので僕はその先輩を「バカ」だとは思っていませんが,やり取りがしんどいのでもうしばらく会わなくていいかなといったところです.

 

これはずっと心の奥底に沈澱していた話で,ことあるごとに色々考えては,一度文章にしないとなあと思っていたことでもあります.本来ならばもう少し構成を練って丁寧に綴るべきことかもしれませんが,いい機会だったので想いに任せて書いてみました.

 

 

明日はワクチンの副反応の程度にもよりますが,少しプログラミングを進めていきたいです.

それではまた.

 

2021年7月24日