淀みに浮かぶ泡沫は

大学院生の日常

日記

今日は結局大学へ.家にいてもよかったのだが,院生室の冷蔵庫で期限が切れてしまったヨーグルトを処分したかったこともあったので,家で朝食を済ませてから家を出た.

ヨーグルトの片付けのほかは,移動中に思いついた具体例の計算と,あとは調べ物をするつもりだった.結論から言えば後者2つは中途半端に終わった.具体例の計算では途中で若干詰まってしまい,もう少し気合いを入れて取り掛かる必要がある.調べ物まで手が回らなかったのは,助教からメールで原稿が届いていたからである.

この原稿は,先日書き上げた助教との共著論文で基礎になっている部分を掘り下げたものである.先の論文では,存在することが保証されている解についての評価を与えていたのだが,今回の原稿では,その解の存在定理をもう少し広い枠組みで扱っている.もちろんこのような取り組みはこれまでに全くなされていなかったわけではないが,多少なりとも新しい結果が得られたので論文化を進めているところである.

今回送られてきた原稿では,先週のディスカッションのときにはうまくいきそうでいかないと助教が言っていた部分が完全に解消されていた.僕も週末に考えてみようとしていたのだが,モタモタしている間に先を越されてしまって少し悔しい.昔誰かが,「卒論で教授を,修論で准教授を,博論で助教を超えないといけない」と言っていたのを思い出す*1.これは,若い研究者ほどパワーがあって超えるのが難しいということを表した言葉である.実際には教授らの長年の蓄積には到底敵わない部分というのも確かにあり,一概にどちらが上とは言えない.しかし,もし研究者として生きていくなら数年後には助教らと肩を並べていかないといけないといったことを考えると,あながち外れてもいない感じがする.

そんなわけで後半は原稿を読んで考えていた.助教からのメールには,To Doとして今日やろうとしていた調べ物が挙げられていた.これくらいは先に手をつけたいのだが,あいにく明日は祖母の葬儀であり,机に向かって何かをする時間は取れなそうである.頭の中の考えが整理できればいいな,くらいに思っておく.

それではまた.

 

2023年5月1日

*1:自分の大学では,学部4年間のあとに修士課程が2年あり,そのあとに博士後期課程が3年間ある(名称等は大学によって違ったりする).学部4年で書くのがいわゆる卒業論文修士2年で書くのが修士論文,博士3年で書くのが博士論文である.